2024.4.24 満月「楽しむことのなかから見えてくるもの」
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こんにちは、MOONSOAPです。あっという間にまばゆい新緑の季節になりました。小手鞠や大手鞠の白い花が清々しく、躑躅も咲いています。季節の進みが早すぎて、急ぐな急ぐなよと言いたいこの頃。体調も安定しません。こんなときは、お気に入りのパュームをまとい、ゆったりしたひとときをもち、心身をリラックス、リフレッシュさせたいですね。
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4月24日8時50分、天秤座で満月を迎えます。
3月25日の月食から春分をすぎて、4月9日には日食、しかも水瓶座、魚座あたりに惑星集中と天体的には大きくエネルギーが動く春でした。
ですので、3月下旬から4月中旬にかけては、季節柄もありますが体調が不安定だったり、心身ともに変化があった方が多いかもしれません。
大きな波をぬけて、やっと落ち着く方向へ向かいそうですが、とはいえ、魚座に惑星集中、太陽と木星は牡羊座と、依然としてパワフルな配置ではあります。
この満月のテーマは
楽しむことの中から見えてくるもの
という感じがします。
高揚の度数を少し過ぎているとはいえ、強い金星が応援してくれますので、迷ったら、自分が心地よいこと、楽しいことにエネルギーを向けて大丈夫だと思います。
一生懸命、頭で考えたり損得や利害を計算するより、感覚的に選んだことのほうが本質が見えり、遠回りのようでも結果、やりたいことに近づいたりしていそうです。
今年は、勉強中のOSHOタロットをひいて、メッセージをお伝えしていこうと思います。
◆Projection 投影
向かい合う2人は、本当のその人を見ていない。
自分が投影された「その人」を見ている。
人の心のが数だけ世界があり、その人の世界は、その人のもの。
※西洋占星術とインド占星術では春分点の度数が違うため、月の入るハウスが変わり、今回は西洋占星術では蠍座ですがインド占星術では天秤座の満月です。
2.『花葉月果(かようげっか)』 第四十五話
「料理のセッションとお伊勢参り 〜その5 お料理セッションはJAZZのように編」
〜どの本を開いても、料理上手なお母さんがいて、『今の私の原点は、母の味です』というような幸せの連鎖が垣間見えた。家族揃っての和やかな食卓。料理は愛情というキーワード。
そういうことは、知っていた。頭ではわかっていた。幸せな食卓を経験したからこそ、舌の記憶との相乗効果で、大人になった時に誰かのために美味しい料理を作りたい。喜ばせたいと人は思うのだ。
少し前までは、料理本を見てもこんな気持ちにはならなかったのに、気分が沈んだ。あれ?私どうしちゃったんだろう。と思った。
阿部直美『おべんとうの時間がきらいだった』より
***
cocotte山下で、まず目に入ったのはカウンターに積まれた瑞々しい食材の山でした。
どんなセッションが始まるのだろう、とエプロンをつけながら緊張していた私に、山下さんは、この山を指しながら「なにか気になるものや好きなものを選んでください」と言いました。
お店ではみたことのないような大きく新鮮なキノコやセロリ、葉付きの紫やオレンジ色のにんじん、数々のハーブの束、百合根や少しめずらしい秋の食材。これらが外国の市場のように無造作に、惜しげもなく裸のまま並べられていました。野菜たちは何か特別な光を放っているように感じました。
私は、ええー!と言いながら「触っていいですよ」という山下さんの声に素直に従い、興味本位にいろいろと触ってみながら、あれ、これと指をさしました。山下さんは私たちが指差す野菜を端から気前よくぽんぽんとまな板に並べてゆきました。
これとこれはヒラメに合わせましょう、この栗はリゾットにしましょう、みーちゃんのリクエストのじゃがいもはスープに入れて、と山下さんが手早くメニューを組み立てる姿はさすが20年来の料理人「プロ」なのでした。そして台本のないジャズセッションのような時間がはじまりました。
ガス台に乗っている使い込まれ、磨かれたル・クルーゼや鉄のフライパン、調理道具の一つ一つに長い旅の歴史があるようでした。そして道具たちは魂を持って息を潜め、静粛に、でも心の中では腕まくりをしながら今日の仕事を待っているようでした。
思えばシェフを独り占めして、おしゃべりをしながら自分のための料理を作ってもらえるなんて、なんて贅沢なことなのでしょう。
目的は、お料理と向き合うことなので、としっかり自分の心に再確認しながらも、イタリアのお城に住んでいる貴族のマダムに気に入られ、専属料理人をしていたという料理人の知人のことを思い出し、ああ、そのマダムはきっと毎日こんな気持ちを味わっていたのだな、と全く知らない貴族の心に勝手にぽわんと思いを馳せたりもしました。
それはとても幸福な気持ちでした。
よい香りが立ち込め、時間とともに暖かくなる店内で、私はただ簡単な作業を手伝いながら目の前で料理が理路整然と完成されてゆくのを甘えたような気持ちで眺めていました。
それは、お母さんのそばで料理を眺めたり手伝ったりしている小さな子どものような気持ちでした。
私のそばには自分自身の子どもたちが居るにもかかわらず、それは不思議な感覚でした。
そして、一言でいうと安心で満たされた時間でした。
***
過去が
そのとき確かに変わったのでした。
cocotte山下 http://www.ise-cocotte.com