満月レター3/18
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こんにちは、MOONSOAPです。春うららになりました。花粉症に「にがり」がいいよ、と友人が教えてくれたので、試しています。
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3月18日夕方4時18分、乙女座で満月を迎えます。
春ですね、太陽は魚座に入っています。
私はコロナのことをあまり気にせず生活していたし、不安になることはなかったのですが、さすがにウクライナに関するニュースは、心が痛かったし、不安で、つらい気持ちになりました。
なるべくフラットな精神状態で生きていこう、と思って毎日瞑想したりしているのだけど、まだまだ心を揺さぶられることがあるんだなぁ……。
いろんな考え方ができると思うんです。
これから世の中は大変になる、と暗い予想をすることもできるし、逆に、世界は自分で創り出しているのだから、大丈夫、と思うこともできる。でも、どっちもしっくりこなかったし、迷いがありました。
占星術的には、火星と土星はまだ山羊座にあり、強いので、安泰とはいかない配置ですが、この満月の前日にラーフ-ケートゥ軸が牡羊座-天秤座ラインに動いたのは良い兆し。
世の中は、確実に新しい世界に向かっているけど、この満月の段階ではまだいろんなことがからみあっていて、複雑で、ネガティブで、難しい。
2022年は、まだまだいろんなことが起こりそうですが、
自分の持っている不安がなんなのか。
どんなふうに生きたいのか。
「分解して考えてみる」
そしてひとつずつ、
ほどいてみる。
今はそんな段階なのかな、と思いました。
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ゆきさんの占星術についてもっと知りたい方は、「hoshi-note」もご参考ください。
2.お知らせ【1万円以上お買上げプレゼント】純粋な古代の海水が結晶化したヒマラヤ岩塩。赤、ピンク、ブラック岩塩それぞれのミネラルを身体の奥深くまで感じでください。3.『花葉月果(かようげっか)』 第十九話「リトリート 〜屋根のない診療所・軽井沢編」Retreat[ritríːt]: 退却や後退。隠居、隠居所、隠れ家。または避難、避難所という意味の英語。キリスト教の修養会では、静想・退修・静修などとも訳し、一定の期間、静かな場所に退いて、講話を聞き、聖書を学び、黙想・祈りなどをすることを指す。リトリート。
“自らがつくりだした、愛に対する全ての障壁を
自らの内に探し出すこと”
とは一体何なのか
私はしばし考えました。
隣にいるのは
アネモネ院をみつけにいこうと誘ってくださったご夫婦で
私は彼女たちの横顔をそっと盗み見ました。
***
2人は時を超えて
光のための闇を
強さのための儚さを
その手先から創造し続けるご夫婦で、
きっと彼女と彼なら
とっくのとうにそんなことは知っているに違いない
と私は思いました。
アネモネ院は、その敷地の門から白いテラスまでゆるくカーブを描く道なりに
青々とした苔が地面を覆っており、
その合間合間に何本かの紅葉の木が植っていました。
今はまだ、つやつや青々としたその葉っぱが
いつか真っ赤に紅葉することを想像すると
それは嘘のような美しい光景に思えました。
そして、しっとりとした緑に包まれた優しいこの森にも
いつか全ての葉が落葉(らくよう)し、
裸の幹を寒さにさらす冬がくるなんて
そんなことは夢なのではないかと
思うのでした。
***
汗もかかず
日射しの鋭さもなく
そしていつも遠くで鳥の声が聞こえる避暑地軽井沢のこの森。
深く濃い緑の匂いを、
深く吸いこんでから
目の前にそびえる大きな木造の建物を改めて見上げました。
少し端の反った赤い屋根に
深い茶色の木の壁。
白い木の窓枠に嵌め込まれている少し波打った硝子越しに
室内の様子を覗くと
古い書籍や薬棚とともに、実験道具やろうそくなどが
静かに配置されており
どんな人がここには居り
どんな暮らしをしているのだろう、と
胸が高鳴りました。
アネモネ院は
古くありながらも
全く恐ろしい感じはなく
むしろ大きく優しい清潔な生き物のようだったので
再び何かを私たちに言ってはくれないかと
もう一度、よく耳を澄ませてみました。
***
目を瞑り、気持ちを合わせていると
それに伴い私は愛に関する気持ちを
自然と思い出していました。
愛の持つ独特のクオリア*は
いつも言葉の網羅する域からは溢れ落ちてゆくものではあるけれど
温度のようなものがあって
手触りのようなものもあって
包み込まれるような感覚のようなものもあって
そして強いていうなれば、泣き尽くした後の肉体のような
がらんどうの晴れがましさ、爽やかさや清々しさもあって
密やかにずっとそこに居たいと思う
そんなクオリアなのでした。
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*クオリアとは、ラテン語
qualiaのこと。我々が意識的に主観的に感じたり経験したりする「質」のことを指す。 日本語では「感覚質」とも呼ばれる。
by 池田早紀 "Ayurveda for your life"